遺言書を残さない者は『たわけもの』?

今回は、遺言に関する雑学です。

『たわけもの』とは、おろかもの、ばかものといった意味で、人をののしって言う語ですが、その語源として『田分け者』であるという説があります。

相続により複数の子供たち全員で田畑を分け合うと、その分それぞれの持ち分は少なくなります。更に孫の代、曾孫の代…と受け継がれてゆくにしたがって細分化されて行くことになります。

このように、相続のたびに田畑を細分化して行った結果、”家”自体が立ち行かなくなってしまいます。

そうならないために、生前にきちんと田畑を受け継ぐ者を決めておかない(遺言しておかない)者は、愚か者、馬鹿者だというこということです。

あくまで俗説で、国語的には『戯け』という意味でしょうが、こうした俗説が生まれたこと自体、それなりに意味がるのでしょうね。

遺言書の起源と推移

遺言書の起源は、奈良時代の藤原仲麻呂により制定、施行された『養老令』の中の『応分条』といわれています。ここにある『在日処分』(生前の財産処分)が遺言のことで、この時代では遺言による相続が原則であったようです。

平安時代にはいると、遺言の存在しない相続というのは稀にしか起こらず、平安時代末期には、人々は当然のこととして在日処分をなし、不慮の死でないにもかかわらず死後の処置を何もしないで死ぬような者があると、世人から物笑いの種にされたということです。

明治に入り、旧民法が施行され家督相続が明文化されたこともあって、大半において長男が家督を引き継ぎ遺産を分割する必要もなくなり遺言は急速に影を薄くして行きました。

令和の時代の遺言

大正、昭和、平成、令和と時代は移り、近年ではまた遺言書を作成する方が増加しているというデータもありますが、それでも相続の全体数に対する比率ではまだまだ少ないというのが現実です。

家督制度も廃止され、遺された財産は当然に長男が全て引き継ぐものだという考えは無くなり、そもそも”家”という認識も希薄になっています。

また、子供のいないご夫婦や、おひとり様といわれる相続人のいない人も増加傾向にあります。

このような時代を迎え、自分が築き上げてきた財産をどのように処分するかを考えておくことは、自分の人生に責任をもって最後まで生ききるためにも必須といえるでしょう。

意味や役割は変わりましたが、今再び遺言を残すことが当たり前となる時代ではないでしょうか。