遺族が最も助かる終活は「断捨離?」

人生いろいろ、終活もいろいろ

一口に『終活』といっても、お葬式やお墓についての準備、相続や遺言、終末医療に対する意思等々多岐にわたりますが、わたしの個人的経験では、一人暮らしの母を看取ったあとで最も苦労したのが、それまで母が暮らしていた家の中の整理でした。

不要なものを廃棄するにしても、とても一人で出来るような作業ではありませんでしたので、専門の業者へ依頼しましたが30万円程の金額がかかりました。

30万円という金額が高いか安いかは、荷物の量や家の立地(車が入らない階段の上の家であるとか)にもよりますので単純に判断できないところですが、何にしてもお金で解決できることですし、一般の家庭であればおそらくどんなに条件の悪い立地で、荷物が多くとも百万単位になることは無いでしょう。

問題は、業者へ依頼するにしても必要なものを選別する作業は必要になるということです。この点もあらかじめリストを渡して要不要の判断も業者に任せてしまうという方法もありましたが、なかなかリスト化できるものでもないですし、その分作業日数もかかり費用も割高になってしまいます。

「要、不要」の判断は精神的にキツイ作業だった

部屋の大掃除を初めてみたものの、懐かしい品々が出てきて思わず作業の手が止まってしまい……というのは「大掃除あるある」じゃないでしょうか?

わたしが母の亡き後、家の整理をした際にもこの状況に陥って、あっという間に数日が経ってしまったという経験をしました。

また、残すか廃棄するかの判断をするにしても、”想い出”として残しておきたいという気持ちもある一方、今後自分が使うこともないものや、二度と見返すことは無いだろう品々を全て残しておくほど今の自分の家は広くないし…と、非常にストレスを感じる作業でした。

結局、大部分のものを断腸の思いで廃棄処分にしましたが、このときに思ったのが「母がまだ元気なうちにもう少し整理しておいてくれれば、これほど悩んだりストレスを感じに済んだのに」ということでした。

断捨離は毎日の生活の張りにもなる

わたし自身も、子供たちに同じ思いはさせたくないと思い、少しづつ断捨離を始めましたが、身の周りの細々としたものが無くなりスッキリしてくるのはとても気持ちが良いものです。

時には「大掃除あるある」で、思い出に浸るだけで荷物は一向に減っていないという日もありましたが、それはそれでヨシとし、時間のあるときに本当に少しづつ作業を進めていました。

はじめは、「いつか使うかも…」「必要になることがあるかもしれない…」と、なかなか廃棄処分する勇気が出せずにいましたが、作業を重ねる毎に自分の中で基準らしきものが出来てきて、それほど迷わなくなりますし、以前に比べ「過去に拘らず、将来へ目を向ける」という思考へ変化してきたように感じます。

正直、まだ道半ばというところですが、最近は断捨離が”楽しい”というか、過去を一つ捨てることで未来の希望が一つ増えるような気になるのは不思議な感触です。

誰か(それが遺族であっても)のためにやる断捨離だと思うと、ついつい先延ばしになってしまうかもしれませんが、騙されたと思って明日から少しづつ、例えば「明日は本棚の2段分だけ」といったように取り組んでみてはいかがでしょうか。続けてゆくうちに身も心もスッキリとして、なんだかワクワクするような新しい明日が来るような気になる日が来ますよ!