終活…何のために?誰のために?
「終活」なんて暗い話は考えたくない…?
「終活」という言葉ですが、今わたしの手元にある、かなり古い広辞苑(第四版)には掲載がありません。
調べてみみると、2012年の『新語・流行語大賞』のトップテンに入ったということですから、今から約10年ほど前に派生し使われるようになった言葉のようです。
ウィキペディアで検索してみると以下のような説明文が掲載されていました。
終活(しゅうかつ)とは「人生の終わりのための活動」の略。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する言葉である。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まぁ、一般的にはこれで間違ってはいないと思いますが、どうも後ろ向きな印象しかなく暗いイメージが漂ってきます。
そもそも人間は「オギャア」と生まれた瞬間から「人生のおわりのための活動」をしているわけで、それは殊更「死を意識」したり「最期を迎えるための様々な準備」のためや「人生の総括」を考えて活動しているわけでもありません。
学生時代であれば試験対策のために勉強をするし、結婚して子供が生まれれば家族のために一生懸命働くことと同じで、人生の延長線上に、身の回りの整理をしたり、エンディングノートを書くような時期が来るだけ。
歳と共に活動の中身が変わって行くだけのことです。
ですから終活を後ろ向きな活動と捉えて、暗い気持ちになる必要は全くないわけです。人として生きている以上、ごく自然に当たり前に行われる活動なのです。
「人生の終わりのための活動」というと、”終わり”のために”積極的に活動”するようで、暗いイメージを持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、終活とは、必ず終わりがある人間の命の中で「どう生きるかを考える」活動です。
終活は遺族のためだけ…?
自分の死後、遺された家族に負担を掛けたくないので「今から終活をしておかないと…」というのはよくきく話です。
確かに、身の回りを整理しシンプルにしておいてくれることや、必要になる手続きを一覧にして残しておいてくれることは、遺族にとって非常に助かることです。
勿論そうした遺族のことを想って行うことも大切ですが、自分自身がこれからの人生を「存分に生き切った」と思える人生を送ることも大切です。遺族が、「良かったね」「いい人生だったね」と思ってくれるように生ききることこそが重要なのです。
存分に生き切るための『終活』を!
身の回りの整理をしたり、エンディングノートを書いたりすることは、自分自身を振り返る作業です。そして、これからの人生を実りある、活き活きとした人生にするためには、これまでの自分を振り返ることから始めるのが最も効果的です。
終活を、「自分が死んだときのために」「自分が死んだ後の遺族のために」と捉えるのではなく、”今を”そして”未来を”活きるための活動と考えて取り組んでみることが大事なのではないでしょうか。
「いつか、そのうち…」という先延ばしはやめましょう!
「そのうち死んでしまう」かもしれないと考えて今すぐ実行に移しましょう。
終活には、「早すぎる」はありません。
終活とは
これまでの自分の人生を振り返り、これからの人生を生き切るため
自分自身のため
…に行う人生の中の一活動
最後に
少し古い本になりますが、とても示唆に富んだ文章だと思ったので、最後に引用したいと思います。
在宅診療を先駆的におこなってきた上田市も矢島嶺医師は、わたしたちが主催する勉強会で次のように語っていました。
「(自分の死ということを考えた時)以前は背後から『死に神』が追いかけてきているというふうに感じていました。ところが七七歳になってからは、『死に神』は前から向かってきているような感じがしています」(「なんでもありの勉強会」2010年4月)
たしたちは死から目をそらすことなく、死を見つめながら生きていかなくてはいけないということです。そして、高齢社会が進むなかで、私たちの暮らしている社会全体が、死をきちんと見つめることの必要性を感じはじめています。
わたしには、この矢島医師の言葉はとても印象的でした。「死に神」が前からやってくるということは、わわたしたちは死から目をそらすことなく、死を見つめながら生きていかなくてはいけないということです。そして、高齢社会が進むなかで、私たちの暮らしている社会全体が、死をきちんと見つめることの必要性を感じはじめています。
そんな状況を背景にして現れてきたのが、「終活」ブームなのだと思います。
「旅立ちのデザイン帖 あなたらしい”終活”のガイドブック」
NPO法人 ライフデザインセンター編著
2016年9月10日発行