尊厳死宣言はしておくべきか?
エンディングノートに関するブログ記事を書くにあたり、無料で配布されているものから有料のものまで、かなりの数のエンディングノートを見ましたが、その中のいくつかに『尊厳死宣言』について触れられているものがあり、日本尊厳死協会の紹介や公正証書にしておくことが望ましいといった説明もありました。
わたし自身も『エンディングノートには何を書く』という記事のなかで、エンディングノートに書いておくべき項目として『延命治療の可否』を挙げましたが、『尊厳死宣言書』についてまでは触れていませんでしたので、今日は『尊厳死宣言』について思うところを書いてみたいと思います。
そもそも尊厳死とは何か
尊厳死について、日本公証人連合会のホームページでは以下のように説明しています。
「尊厳死」とは、一般的に「回復の見込みのない末期状態の患者に対して、生命維持治療を差し控え、または中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいう。」と解されています。
日本公証人連合会ホームページより
また、日本尊厳死協会のホームページでは以下のように記載されています。
尊厳死とは、不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のことです。本人意思は健全な判断のもとでなされることが大切で、尊厳死は自己決定により受け入れた自然死と同じ意味と考えています。
日本尊厳死協会ホームページより
『尊厳死』という言葉が日本で使われ始めたのは、『カレン・クインラン事件』(1975~76年米国で、人工呼吸器の取り外しをめぐっての裁判)の中で、「患者には尊厳をもって死ぬ権利がある」という言い方がされたことが契機で、1976年4月1日付け朝日新聞の夕刊で
「カレンさんの尊厳死裁判 死ぬ権利認める 米州最高裁判 世界初の判決」
朝日新聞 1976年4月1日夕刊
という見出しで報じられました。
この事件では、州高等裁判所では「患者が自分の意思を決定できないときは患者は生き続けることを選ぶとみなすのが社会通念である」として、いわゆる尊厳死は認められないとの判決になりましたが、州最高裁判所においていくつかの条件付きではあるものの逆転判決として尊厳死が認められたという経緯があります。
尊厳死と時々混同される言葉に『安楽死』という言葉があります。この2つの言葉は、世界的には明確な区別がされていませんが、日本ではハッキリと区別されているようで、『尊厳死=延命治療をしないで死ぬに任せること、安楽死=耐えがたい苦痛を解放するため薬物投与等を行い死なせること』といった定義が一般的です。
日本尊厳死協会も、発足当初は『日本安楽死協会』だったのが、1983年に『日本尊厳死協会』と改称したうえで、尊厳死の法制化に向けて活動している一方、安楽死は支持していないと宣言しています。
世界的には、『安楽死』を『積極的安楽死』(日本でいう安楽死)と、『消極的安楽死』(日本でいう尊厳死)に分けて両者を広義の『安楽死』としています。(世界で初めて安楽死を合法化したオランダでは、医師による『自死介助』も含めている)
尊厳死宣言は法的に有効なのか
結論から言えば、日本では『安楽死(尊厳死)』に関する法律は無いので、あらかじめ『宣言』したからといって、その宣言が法的に担保されるということはありません。これは、公正証書にしたとしても同様です。
因みにオランダの場合でも、安楽死は患者の権利ではなく、安楽死の要請に医師は必ず応えなければならないという義務はなく、医師としての信条から「安楽死は行わない」とする医師もいます。結局、安楽死を実施するか否かの最終決定権は医師にあって患者では無いのです。
前述したとおり、日本には終末期医療を想定した法律は存在しませんが、2007年に厚生労働省が『人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセルに関するガイドライン』というものを発表していますが、これには延命治療中止の基準をなんら示されてなく、決定のプロセスの形式のみに終わっています。
尊厳死宣言は実際の医療現場で受け入れてもらえるのか
前述した通り、現在の日本では尊厳死宣言という権利が法的に認められているわけではありませんが、終末期において延命措置を拒否する自己決定権は、憲法が保証する基本的人権に含まれるという考え方で、尊厳死を認める司法判断もいくつか出ているため、実際の医療現場でも受け入れているのが実情のようです。
とはいえ、例え事前に医師へ『尊厳死宣言書』を示していたとしても、家族が延命措置を希望した場合、医師としてこれを無視することも難しいと思われるので、とにかく先ずは家族とよく話し合って自分の気持ちをしっかりと理解してもらうことが大事でしょう。そのうえで、宣言書に家族の同意を得た旨も記載しておくのが良いかと思います。
ピンピンコロリが理想
『健康寿命』という言葉がありますが、高齢者の場合何か特別な事情でもない限り、死の直前までピンピン元気に暮らし、死ぬときは誰にも迷惑をかけず、苦しむこともなくコロリと逝きたいと願うものだと思います。自力で呼吸することも食べることもできず、何本もの管に繋がれ意識が無い状態にあってもなお一日でも寿命を伸ばしてほしいと願う人は少ないように思います。いわゆるピンピンコロリです。
問題はまわりの人、配偶者や子供、兄弟など、直接自分で意思を伝えることが難しい状態のときに延命措置の可否を決断をしなければならない人たちの気持ちです。
本人はピンピンコロリがよくとも、まわりの人にしてみれば、たとえどのような状態であっても一日でも長く生きていてほしいと考える人も少なくありません。その結果、延命措置を行ったものの治療による副作用や寝たきりによる外的変化を見続けることで、「延命治療を選択した自分の判断は正しかったのだろうか?」と悩む日が訪れることがあります。
また、逆に「本人はきっと延命措置は望まないだろう」と考えて判断したものの、実際に看取った後「あのとき延命措置を選択していれば、たとえ言葉を交わすことができなくとも、まだ死なずに済んだのではないだろうか、自分が殺したようなものじゃないだろうか?」といった自責の念におそわれることもあります。
こうした悩みや自責の念は、実際に私自身が体験したことです。延命措置を選択した後に悩んだのが父の時で、延命措置を拒否して自責の念にかられたのが母のときです。
すべての人が私のような悩みや自責の念を持つというわけではないでしょうが、わたしとしてはやはり実体験からしか語れないので、父や母が『尊厳死宣言書』のようなもので、形として自分の意志を明確にしていてくれたらよかったと思うこともあります。
以上のような経験から、「尊厳死宣言はしておくべきか?」についての結論としては、「何らかの形で尊厳死宣言書(タイトルなどはともかく)は残しておくべき」というのが私の現時点における個人的な思いです。
どのような形で残せばよいのか
とくに決まった形式はないので、自分の意思が伝わるものであればどのような形で残しても良いのですが、一般的に考えられる形としては以下の3つ位が妥当ではないでしょうか。
- エンディングノートへの記載
- 日本尊厳死協会の会員となる
- 公正証書を作成する
記載する内容に関しては、自分がどこまでの医療措置を望むかによりますが、「自分の希望を叶えるためにとられた行為はすべて自分自身にある」といった、免責の一言を付け加えておくとよいかもしれません。
因みに、エンディングノートであれば数百円から高くても数千円、日本尊厳死協会は会費として年2,000円(生涯会員70,000円)、公正証書作成には10,000円〜15,000円程度の費用がかかります。
法的な意味ではどのような形でも同じなので、あえて費用をかける必要もないように思いますが、延命治療の開始時はともかく、一度始めた延命治療を中止する場合は公正証書にしておくことで、医師に対する説得力が増すように思います。(実際に医療関係者に聞いたわけでもなく、私の憶測です。)
記載例(見本)
日本尊厳死協会では、尊厳死宣言書として『リビングウィル(人生の最終段階における事前指示書)』というものを作成します。冒頭に以下の記載があり、以下『申込者』『署名立会人』『代諾者』『かかりつけ医』『ケアマネージャー』の情報を記入するようになっています。
※日本尊厳死協会のホームページで実際の書類を確認することができます。
この指示書は私が最後まで尊厳を保って生きるために私の希望を表明したものです。
私自身が撤回しない限り有効です。
- 私に死が迫っている場合や、意識のない状態が長く続いた場合は、死期を引き延ばすためだけの医療措置は希望しません。
- ただし私の心や身体の苦痛を和らげるための緩和ケアは、医療用麻薬などの使用を含めて十分に行ってください。
- 以上の2点を私の代諾者や医療・ケアに関わる関係者は繰り返し話し合い、私の希望をかなえてください。
私の最期を支えてくださる方々に深く感謝し、その方々の行為一切の責任は私自身にあることを明記します。
公正証書の場合は、作成する公証人により記載する項目や表現方法は異なってきますが、概ね以下のようなものです。
尊厳死宣言公正証書
本公証人は、尊厳死宣言者 ○○○○ の嘱託により、令和〇年〇月〇日、その陳述内容が依頼者本人の真意に基づくものであることを確認の上、宣言に関する陳述の趣旨を録取し、この証書を作成する。
第1条 私○○○○は、将来不治の傷病又は高齢によって死期が迫り、現在の医学では不治の状態に陥った場合に備え、私の家族及び私の医療に携わっている医師、看護師その他の医療関係者の方々に、以下の要望を宣言します。
1 死期を延ばすためだけの延命措置は一切行わないでください。
2 ただし、私の苦痛を和らげる処置は最大限実施してください。そのために、麻薬などの副作用により死亡時期が早まったとしても構いません。
第2条 この証書の作成に当たっては、あらかじめ私の家族の了解を得ております。
第3条 私のこの宣言による要望を忠実に果たして下さる方々に深く感謝申し上げます。そして、その方々が私の要望に従ってされた行為の一切の責任は、私自身にあります。警察、検察の関係者におかれましては、私の家族や医師が私の意思に沿った行動を執ったことにより、これらの方々に対する犯罪捜査や訴追の対象とすることのないよう特にお願いします。
第4条 この宣言は、私の精神が健全な状態にあるときにしたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にあるときに私自身が破棄または撤回しない限り、その効力は持続するものであることを明らかにしておきます。
以上
参考:安楽死(尊厳死)に関する判例など…
▶1961年 名古屋高裁
違法性阻却事由としての安楽死の要件
- 不治の病に冒され死期が目前に迫っていること
- 苦痛が見るに忍びない程度に甚だしいこと
- もっぱら死苦の緩和の目的でなされたこと
- 病者の意識がなお明瞭であって意思を表明できる場合には、本人の真摯な嘱託または承諾のあること
- 原則として医師の手によるべきだが、医師の手よにり首肯するに足る特別の事情が認められること
- 方法が倫理的にも妥当なものであること
▶1991年 横浜地裁
医師による積極的安楽死として許容されるための要件
- 患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
- 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
- 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
- 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
▷オランダにおける「要請に基づく生命終結と自死介助法」における刑事責任を免除されるために遵守すべき『注意深さの要件』
- 医師が、患者の要請が自発的で熟慮されたものであると確信していること
- 医師が、患者の苦痛が永続的かつ耐えがたいものであると確信していること
- 医師が、患者の病状および予後について、患者に情報提供をしていること
- 医師及び患者が、患者の病状の合理的な解決策が他にないことを確信していること
- 医師が、少なくももう一人の独立した医師と相談し、その医師が患者を診断し、かつ上記1から4までに規定された注意深さの要件について書面による意見を述べていること
- 医師が、注意深く生命終結を行うか、または自死を介助すること
▷ルクセンブルクにおける「憲法改正」による安楽死法の成立
ルクセンブルクでは2009年に『安楽死および自死介助による法律』が成立したが、当時の国家元首が自らの良心を理由に、この法律への署名を拒否。議会で成立したものの元首の署名がないため公布できないという状況に陥ってしまった。このため議会は、法律の公布にとって元首の署名を必要としていた憲法を改正(元首の署名不要と)して公布した。
ルクセンブルクには行ったこともありませんし、正直なところ「どこにあるの?ヨーロッパ?」な私としては歴史も国民性も全くわかりませんが、憲法を改正してまで『安楽死法』が求められたということにちょっとビックリです。